ハイデルベルグ信仰問答7問

第七問 それでは、そのような人間の腐敗した罪の性質はどこから来たのですか?

答え  楽園における、私たちの最初の祖先、アダムとエバの堕落塗布従順からであります。そこで、私たちの本性は毒されてしまったので、私たちはすべて、罪の中ではらまれ生まれるのです。

 

 第七問は人間の罪の起源を問うています。
したがって、それは人間の悲惨の原罪への問いでもあるのです。
原罪は、

(1)神の律法によって自分の意志を規定するのでなく、自分の立てた善悪の基準によって意志を規定しようとすることです。神のご意志に従うよりは、自分の自律的意思に従おうとする「ねじれた心」・「さかさまの心」という顛倒性と、

(2)このねじれた、さかさまの状態を自分の力で元に戻すことのできない腐敗性にあります。問答は「人間のそのような腐敗した性質」はどこから来たのかと問い、顛倒性というさかさまな状態だけではなく腐敗性を問題にしています。「どこから」はもちろん、由来です。

 

最初の父祖、アダムとエバの堕落と不従順からきている。

 神の像に人間が創造されたということは、心に律法が記され、神の隣人を愛するように、造られたものであるということです。神のご意志に従うことが生命と祝福で、これに違反することが死と滅びであるような関係となっています。

そして、それは高度な自由意思の保持者であるということでもあって、人間は機械ではないということです。ロボットが神の意思通りに動いていると言うことは、必然であって自由ではありません。自分の意志で、神の律法を遵守し、神を心から、心をつくして愛し、このように神に応答してこそ、神を賛美し、神の栄光をあらわしていると言えます。

神はそのような高度な自由意思の保持者である人間に一つのテストを与えられました。善悪を知る木の実という表現は緊張を強しています。自分の意志を、神の律法によって規定するかどうかということは、宗教と倫理の最大の課題でもあります。

神は契約の代表者アダムに対して、特別な摂理の行為をなされました。
これが「行為の契約」、「業の契約」と呼ばれる契約です。アダムは全人類の契約の代表者として神の前に立っていました。アダムの遵守は全人類の遵守であり、アダムの違反は全人類の違反であるような行為の契約であした。

アダムの従順において契約を満たしていたなら、全人類は確定した生命の道を神と人を愛し、被造世界を正しく管理して、人類の歴史は神の国を建設する方向に直ちに向かったはずだったのです。

しかし、現実にはアダムは罪を犯し、全人類はアダムにおいて罪を犯し、死と滅びの道を行くものとなりました。

「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」ローマ5:12

アダムと結ばれた契約は、彼自身だけでなく、その子孫のためにも結ばれているので、アダムの子孫である全人類は、彼の犯罪において、彼にあって罪を犯し、彼とともに堕落しました。

 

そこで、私たちの本性は毒されてしまったので、私たちはすべて、罪の中ではらまれ生まれるのです。

 私たちの本性の腐敗は聖書の出発点で、ハイデルベルグ信仰問答の三重の知識の第一の知識「罪と悲惨の認識」で、カルヴィニズムの5要点の第一点「全的堕落」の教理です。

「人が堕落した状態の罪性とは、アダムの最初の罪の咎と原義の欠如と、普通に原罪といわれる全性質の腐敗と、これらから生ずるすべての現行罪にある。」(ウェストミンスター小教理問答18問)

原義の欠如とは、知識と義と聖における神の像の喪失です。
真の神を正しく知り、神を愛し礼拝し、隣人を愛し、地をいつくしむことができず、神と人を憎み、地を傷つける顛倒したさかさまの心、これを自分で治すことのできない腐敗を身に負う者という意味です。

知識は認識能力としての知性に関連し、義は道徳法則に従う能力として意思に関係し、聖は正しい神との関係を喜ぶ感情と霊性に関係しています。それゆえ、知識と義と聖における神の像の喪失は、全性質の腐敗なのです。

「人間の原罪は神が善のものとして創りたもうた人間の本質を汚すものではない」とするペラギウス主義や、「人間は、堕落しても、霊的自由意志を持っていて、神の恵みと協力して、救いのための霊的善を行える」という神人協力説を唱えるセミ・ペラギウス主義もここに否定されています。

カルバン(TULIP)                アルミニウス

全的堕落 (Total depravity)

無条件的選び (Unconditional election)

制限的贖罪 (Limited atonement)

不可抵抗的恩恵 (Irresistible grace)

聖徒の堅忍 (Perseverance of the saints)

先行的恩寵を前提とする全的堕落

条件的選び(救いは万人のもの)

不特定の贖罪(十字架は全ての人のもの)

可抗的恩恵(恵みを拒否することもできる)

相対的保証(救いを捨てることもできる)

ちなみに、聖書はこのどちらも語っており、一種の緊張関係にあると言えるでしょう。私たちは、カルバン主義に立つが、極端に走ることは常に許されていません。