ハイデルベルグ信仰問答 第8問

第八問 しかし、私たちは、善に対しては全く無力であり、あらゆる悪に傾く傾向性を持つほどに、腐敗してしまっているのでしょうか?

答え そうです、私たちが神の御霊によってふたたび生まれるのでないならば。

 堕落後の人間も、一般恩恵による相対的な善はこれを行うことができます。しかし、行為の契約の条件、救いの条件としての律法の遵守は不可能です。これが善に対する無能力といわれている事態となりました。

「義人はいない。一人もいない。」
救いの条件として見たら、私たちは神の前には律法の一点も守ることのできない存在です。セミ・ペラギウス主義としてのトマス主義は、罪の腐敗は人間を傷つけたけれども、しかし、人間の本性までは傷つけてはいない、理性的な霊魂までは傷つけていないと主張します。それゆえ、この立場に立てば、救いは人間の本性による不完全ではあるが、熱心な律法の遵守とこの不完全性を補うキリストの聖寵の注入による助力によるということになるのです。これは、神人協力説です。

「また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」(1コリント12:3後半)

「イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」(ヨハネ3:5)

 

人は聖霊によって新たに生まれるのでなければ、この腐敗した心を取り戻し、再び神と隣人を愛することを喜び、神のご意志である律法に対する良い傾向性を回復することはできません。

 「神の聖霊によってふたたび生まれるのでないならば」神の聖霊による再生の道が、ここですでに予表的に語られます。神はそのために新たなる契約「恩恵の契約」を結んでくださいました。この契約は、イエスキリストを代表者とする恩恵の契約なのです。

『そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。』(ローマ5:18-19)

 

「神は、ただよしとされるままに、永遠からある人々を永遠の生命によって選び贖い主によって彼らを罪と悲惨の状態から救い出し、救いの状態に入れるために、恩恵の契約を結ばれた(ウェストミンスター小教理問答20問)」

キリストが私たちに代わって律法を完全に順守してくださいました。キリストが私たちに代わって罪の刑罰を受けてくださいました。私たちに求められているのは、このキリストに対する信仰です。この信仰すらも聖霊の賜物なのです。